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蛍光ピンクに思いを込めて

Like a Candy Paper Moon

裸の時代発売に向けて

裸の時代発売にあたって、不安なこと。楽しみなこと。前回藤ヶ谷くんの10000字の感想で書きましたがそちらの発展、まとめですね。まとまらなさそうですが。。。


まず整理するとこから入りましょう。
裸の時代の話と新規古株の話と。この2つが混同されていることがそもそも話をまとまらなくさせているのですよね。はい。笑

裸の時代。
つまり詳しくなった一万字インタビューなんだと思っておりますが、つまり過去が彼らの口によって語られるもの。
まず、彼らの口から過去が語られる、ということについて。
すごくすごく楽しみな点があります。
みなさんおっしゃっている、"答え合わせ"という点に於いてです。
あの時、私はこう思ったけど彼らもそう思ってたのね。
あの時、彼はこう見えたけどそんなこと考えてたのか。
というように、きっとたくさんの初めて分かることに触れられると思うのです。
公式で、彼らの口から語られる。つまり嘘はないのです。公式なのだから。
今までただの予想でしかなく、ファンが勝手に定義付けしていただけの過去が、彼らによって、公式によって明確に定義付けされるのです。

そう考えていくと、とある不安にぶち当たります。

これはどなたかがおっしゃっていたことなのですが、
"私は、一万字(特に兄組について)は、へぇ?そんな風に思ってた?それって、本当にその時の気持ち?その時の、リアルな気持ち?って感じしかしなかった。"

思い出は、思い出なのです。
その時のリアルな感情は、例えそれを経験した本人であっても、色褪せ、美化され、色付けされていくのです。
心理学など私にはよく分かりませんが、そうであるから人間は悲しみを乗り越えることができる、と。何かの本で読んだ気がします。

例えば横尾渉の一万字。
あれはきっと、彼の本当の感情である思うのです。
でも、じゃあ本当にデビューが決まった時100パーセント困惑しか無かった?と考えると、私にはそう見えませんでした。
これはあくまでも私の予測なのですが、きっと彼の中には"待ってよ、俺辞めるはずだったのに"という感情もあったのだろうと思います。
でも、デビュー嬉しい、という気持ちは必ずどこかに存在したはず。
でも彼は"それが全てだ"と語ります。

するとどうでしょう。
私は、横尾渉のことをキスマイを好きになってから、少しは見てきたはずです。
彼の頑張っている姿、彼に対して感じていたこと、たくさんあったはずなのです。
ですが彼の一万字を読んだときに、私はそれを鵜呑みにしました。
本当に嬉しかったのに、裏切られた気分。横尾さん最低。
と。私は思ったのですね。
そして藤ヶ谷の一万字を読んで気付きました。
あれ、これって全てなんかじゃない。
私は、何を見てきていたんだろう。
と。自分にがっかりしました。
自分の目で見て肌で感じてきたことよりも、公式に語られた横尾さんの言葉を信じた。それが全てだと一瞬でも思ってしまっていた。
残念ながら事実なのですね。

それを今思い出して、改めて
本人の口から語られること、公式のもの
についての影響力の強さを実感しました。

ここまでででは公式のものの影響力、そしてその怖さをお話しました。
それでは次の展開に進みます。

これもとある方がおっしゃっていたことなのですが、
ジャニオタは、公式からの発表に慣れていない。
コンサートやります!とかの発表に裏切られたことは何度もあるけれど
彼らによって彼らの口から彼ら自身の考えや不安が語られることなど今までなかったのです。
ですが私たちジャニオタは、彼らの思いや不安を必死に汲み取ろうとします。歌い方、踊り方、話し方や立ち姿、表情ひとつを逃さず目に焼き付けて、そこから彼らの思いや不安を想像し、創造するのです。
彼らの思いや不安を想像し、彼らの青春時代をファンの手によって創造するのです。
それは明らかに他の世界のオタクの方とは少し違います。
言ってしまえば、異常です。ですがこの異常さに浸かってしまうことができる人は、浸かって嵌まり込んで抜け出せなくなってしまった人が、私のようななんとも救いがたいジャニオタになってしまうのです。
三次元の、生身の人間であるアイドルを好きになるとはそういうことなのです。

このことをふまえて更に話をすすめると、
ジャニオタには、"新規"そして"古株"という言葉があります。
新規とは、新しくその人のファンになった人のことを言います。
これは、完全なる差別用語であるのです。
しかもkis-my-ft2さんの場合は、みなさんも知っての通り新規古株論争がすごかったのです。
なぜ?なぜ彼らの新規はこんなにも差別されなくてはならないのか。
それは彼らの過去に意味がありすぎるからなのです。
ここの話題はひとつ前の記事をよんでいただければわかるとおもうのです。(繰り返しになってしまうので。)

ここでひとつ前の話題に戻りますと、ジャニーズJr.は、その通りであります。想像して、創造されるアイドル像が主な彼ら。
だけれども、デビューすれば話は変わってきてしまうのです。
今回のキスマイの裸の時代、は彼らの過去が商業化され定義付けられることになるでしょう。
ジャニーズJr.である時代だけ、ジャニーズである意味があるのではないかな、と。ジャニーズJr.である時代は、他のアイドルにはない特別な意味をもつアイドルなのではないのかな、と思うのです。
だから、デビューから好きになった新規は差別される。ファンとしても過酷でだけれども一番楽しいジャニーズを好きになる醍醐味であるJr.時代を知らないから。ましてや、彼ら自信が意味のあるものだ、と自覚しているキスマイであればより一層。

そして定義付けられる。
知ろうとする人が少なくなる。簡単に知れてしまうから。
思い出すことがむずかしくなる。思いでは美化されてしまうから。当時の思いはだんだん薄れていくものだから。

意味のある過去が、知って欲しいと思う過去がどんどん定義化されてしまって本当の意味で知っているひとがいなくなる。
商業的になってしまう。このことの怖さを私は今ひしひしと感じています。

そして、本当の意味で知っている人がいなくなる。これは新規も古株も同じだと思うのです。
知りたい、と思う機会を自分で調べるという過程を過ごす機会をとりあげられる新規。
過去のことを上手く思い出せなくなる古株。
もしかしたら、新規と古株の境界線がなくなるかもしれません。
それは、もしかしたらいいことなのかもしれないですが、
でも過去を大切にしている彼らにとって、デビュー後から好きになってくれた人達と、デビュー前から応援していまでもついてきてくれている人達、この2つを同じに捉えてはいけない、と思うのです。
まあ、完全に私の理想でしかないんですけどね。
ずっと言ってるね私これ。笑
でも、ほんとにずっと思うんだと思うのです。

宏光の、「ついてきてくれますか?」
あの言葉信じてあの時のキスマイを信じて着いていこうって決めたファンが現に減っている。あの時に意味がある、と。
あの時の俺らに味と色があると彼ら自身が言うのなら、そのファンを減らすようなことはいつか自分達の首を締めると思うのです。

どうなるかなんて全くわからないからただの無駄な考えになる確率も50%ぐらいなんだろうけど!笑

とりあえず、裸の時代発売まであと少し。
どうなるのか、どう思うのか、すごく楽しみです。